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アイ王墓(WV23)
Aye 第18王朝アイの墓。西の谷で唯一公開されている墓です。1816年にジョバンニ・ベルツォーニにより発見されました。入口の上部には,微かですがベルツォーニの名前を見ることができます。
まっすぐな墓の主軸は,アマルナのアクエンアテン王墓に似ています。まっすぐな通路を進むと急な階段があり,その次の通路の先に井戸の間がありますが,シャフトはありません。壁画は玄室のみ描かれており,その他の室,通路は未装飾です。また,壁画のモチーフはツタンカーメン王墓のそれとよく似ており,同じ職人によるものと考えられています。
ツタンカーメン王墓にはない,沼地で狩りをする姿が描かれています。また,カノポス壺を納めたカノポス室の入り口には,王墓では初めて,ホルスの4人の息子の図が描かれています。赤色花崗岩製の石棺は破壊されていたものを復元してありますが,カイロ博物館に展示されているアクエンアテンの棺とよく似たモチーフです。墓からはアイの名と図像はすべて消されています。




アイ
第18王朝の王族の一人であり,アメンへテプ3世時代から王家に仕えてきた古参の臣。ツタンカーメンの治世にあってはアメン大神官の地位にありました。ツタンカーメンの死後,ツタンカーメンの王妃だったアンケセナーメンと結婚し王位を継いだと言われていますが,墓の壁画には前妻のティイが描かれています。
没後,同郷の貴族で軍司令官のナクトミンを後継者に指名していましたが,将軍ホルエムヘブがナクトミンを打倒して王位を継承しました。その後ホルエムへブはアクエンアテン以降四代の王の存在を抹殺したため,アイの名も抹消されることとなりました。


















王墓に王妃の姿があるのは大変珍しいことです。














呪術レンガ(magic bricks)
新王国時代 (前1550-1069年)に死者を邪悪な力から守るため,墓の四面にしばしば置かれた4つ一組のレンガ。現存しているのは,おそくともトトメス3世 (前1479-1425) の治世からラメセス2世 (前1279-1213) の治世までのものです。それぞれのレンガには窪みがありレンガの置かれる方位点によってそれぞれ形の決まった異なる護符がとりつけられていました。西壁の脇に置かれたレンガにはファイアンスのジェド柱,東壁脇には火入れしていない粘土製のアヌビス像,南壁および北壁脇にはそれぞれ灯心つきのたいまつのような葦とミイラ姿のシャブティのような像がはめ込まれていました。それらの護符自体はふつう反対側の壁の方を向いて置かれ,レンガには,護符としてオシリスの敵から死者を守るうえで果たす役割を述べた「死者の書」第151章の一部がヒエラティックで記されていました。


粉々に破壊されていたものを復元していますが,破片の一部は大英博物館とベルリンに保管されています。


☆チケット;150EGP (2023年12月1日改定)
王家の谷チケットオフィスで購入
☆見学時間;午前6時から午後5時
☆西の谷入口の番小屋に声をかけて,番人に鍵を開けてもらう必要があります。
西の谷の見学については,こちらをご覧ください。
http://nilewind.seesaa.net/article/471654684.html